日々是陽陽 2004年

2004年12月24日金曜日

黒ひげ

 アトリエの二学期の最終週は、どのクラスもローソクを作りながらのクリスマス会。ローソクが出来上がるまでの間、お菓子を食べたりジュースを飲んだりおしゃべりしたりと子どもたちにとって一年で一番楽しいアトリエとなる。

 ひととおりお菓子を食べ終わると、次はみなさまお待ちかねの"黒ひげ"が登場。樽に短剣を刺していってうまく当たると中の海賊“黒ひげ”が飛び出すという、あの"黒ひげ危機一髪"というゲームのことだ。一般的ルールは飛び上がらせてしまった人が負けというものだそうだが、アトリエのルールは若干違う。黒ひげを飛び上がらせた人が大当たり!となり景品(=飴玉)がもらえるのだ。バヒッという黒ひげの飛び出す音が怖くてみんなおっかなびっくりだが、やっぱり飴をもらう時の顔はうれしそう。
 いつ頃からか、ただ黒ひげを飛び上がらせただけでは飽き足らず、飛び上がった黒ひげを空中でキャッチした人が飴をもらえるというルールに進化した。それからというものは飛び上がった黒ひげめがけ一斉に大歓声とともに手があがる。みごとキャッチできた時の喜びようは飴一個では申し訳ないほどだ(事情の知らない人が傍らで見ていたらその熱狂振りにさぞかし驚かれることだろう…)。
 その“黒ひげ”に今年またひとつルールが加わった。今までは黙って剣を刺していたところに連想ゲームを加えたのだ。どこに刺そうか手を動かしながら全く違うことを頭で考えることになるので結構難しい。キャッチするタイミングが微妙に狂ってしまうのだ。でも、どの子も一生懸命考えながら声を出すのでどんどん気分が高揚し、黙ってやっていたときとは違う楽しさが加わった。
 近頃の子どもは与えられるばかりで遊びの創造力が乏しいといわれるが、なんのなんの、単純なゲームをこんなに楽しくしてしまうなんてたいしたものだ。おまけに連想ゲームをいれたおかげで語彙の豊かな子や発想の面白い子など、子どもたちの違う面が発見でき大収穫だった。

 一年でこの一週間だけのお勤めの黒ひげだが、実は初登場からすでに27年も経っている。あちこちに擦り傷が目立つようになってきたが、壊れるまで使ってあげよう。だって黒ひげはアトリエの子どもたちみんなの笑顔と手を知っているのだから。いままで何人の子どもたちが触れただろかと改めて黒ひげを見てみると、そのとぼけた顔がなにやら神々しく見えてきてしまった。そして、まだまだ現役でがんばれますよウインクされたような気がした。
 では、来年もよろしくお願いしますね、黒ひげ君!!




みんなで輪になって順番に。


緊張の一瞬…。
次の瞬間爆発!!
「それいけ、捕まえろ!」


こんな感じでアトリエは大興奮。
※いつもはこの輪の中に先生も入っています…

2004年12月17日金曜日

木版画~その3~

 とうとう全員の版画カレンダーが出来上がりました!
 
 アトリエの壁一面に全員分の作品が張られていて、圧倒されそうな迫力で見る者にせまってくる。一枚一枚の作品が語りかけてくるかのようだ。それもそのはず、2ヶ月もの間ひたすら彫り続けたエネルギーがそっくり版画に入っているのだから。それぞれの子が今の持てる力をすべて注ぎ込んで作ったものが人を感動させないわけがない。
 この子は最後までやり通せるかと危惧した子が一週間を待ちきれないほど版画に夢中になったり、幼稚園児が彫刻刀の使い方が大人顔負けに上手になったり、いやいややっていた子が回をかさねるごとに顔に輝きがましてきたり、この間の子どもたちの変化をあげていったらきりがないほど。そしてその変化は確実に自信となっているに違いない。どの子も最後まで本当によくがんばった。
 最後の生徒を見送りアトリエの扉を閉めて、ひと時一面版画の壁と向き合ってみる。版画のときはなぜか毎回してしまう儀式のようなものだ。それぞれの子が写真を持ってきたところから版画作りの作業は始まるのだが、作業を通して子どもたちが家族について、時に自慢をしたり愚痴をこぼしたり(?)しながら考えを深めていった様子が思い出される。作業をしながらの子どもたちのつぶやきは面白く家族の様子が手にとるように分かってしまう。そんな時間をすごしてきたせいか、どの家族も身近に感じられ、一つひとつの家庭が温かく子どもを包んでいる様が刷り上った作品を通して伝わってくる。みんなが集まって、飛びっ切りの笑顔の家族はしみじみといいなぁと思う。と同時に大切なお子さんを預かっている責任も改めて感じるのだ。


 「家族の肖像」のカレンダーが来年一年それぞれのご家庭を見守り、幸せをもたらしてくれる事を祈っております。

この2ヶ月間は私なりに本当に神経を使いました。やっぱり彫刻刀は危険ですから。
いつもなら授業中の時間があるときにコラムのネタを考えたりするのですが、それも出来ず更新もままなりませんでしたし。
これから冬休みを利用してこのHPを更新していきたいと思いますので、どうぞよろしく!

2004年12月5日日曜日

百円ライター

 日ごろ歩く機会があまりないので(なにせ自宅から職場まで徒歩3歩!!)、天気に誘われてここぞとばかりに散歩にでた。"正しい歩き方"という記事を先日読んだばかりだったのでそれを反芻しながら大きく手を振り歩幅も大きくとって歩いた。「踵をしっかり地面につけて」とあったのを思い出しながら左の踵を下ろした、とそのまま足がスススーッと滑る。スローモーションのごとく足が開き右膝をついてやっと止まった。なんだろう?左足の先に目をやると水色の百円ライターが。これが犯人か、と声を出して笑った。偶然とはいえあまりにピッタリと左の踵が百円ライターを捉えたことがおかしかったのだ。途中で歩幅を変えなければ、歩幅が数センチ違っていたら…そこに百円ライターが落ちていることすら知らずに膝小僧も擦りむくことなく通り過ぎたであろうに。
 こういったことはしばしばある。最近も犬の散歩中にいつも曲がる角を曲がりそこねて次の角まで行ったところ、しばらくぶりの友人とばったり。十数年ぶりだろうか。いつもの角で曲がっていれば会わなかったであろうにと思うと不思議でならない。

 もちろんこれまでの人生において、あと数センチのところで踏まなくてすんだ百円ライターや、その角をたまたま曲がらなかったがために会えなかった懐かしの友人がいくつもいく人もあったのだろう。しかし実際に起こった偶然は深く印象に残り、それに続いて大事件が起こったりすればたちまちドラマのヒロインになれる。今回だって百円ライターで足を滑らせが為にその先の交差点で事故に遭うのを免れたかもしれないし、友人と会ったことからいい話が舞い込むことがなかったとは言い切れない。
 幸か不幸か百円ライターは私の右ひざにそれこそ百円玉位の大きさの青あざを残しただけだし、友人との立ち話もお互いの近況を報告するに終わった。でもそれでいいのだ。いつもの日常にそうそう劇的な展開は必要ない。

 といいつつも日々の平凡な暮らしの中、もう一人の自分は明日も幸運を呼ぶかもしれない百円ライターを待っているだろう。別に不平不満があるわけでもないのに。
 膝の青あざに笑われたような気がした。

2004年11月29日月曜日

捨てていたもの、実は…

 ここのところ大根のキンピラをよく作る。大根のキンピラといっても大根本体は使わず皮を使うものだ。千切りにした皮を、熱した中華鍋に胡麻油をいれ手早く砂糖・醤油で炒めつける。牛蒡のキンピラの“大根の皮版”というわけだ。これがまた歯ごたえがあってなかなか美味しい。沢庵ポリポリの食感と通じるものがあり食べだすと止まらないほどなのだ。
 この料理は最近知人から教えてもらったのだが、それまでは当然皮は捨てていた。かろうじて大根おろしのときだけは皮ごと下ろしていたが。これでも主婦歴30余年、大根はよく使う食材だけになんと勿体ないことをしていたのだろうと思う。捨てていたものもこんなに美味しく食べられるなんて、ずいぶん損をしたてきたような気がする。
 
 こう思ったのはこと大根の皮に限らない。ブロッコリーの芯のときもそうだった。芯はスパッと思い切りよく切って捨てていたが、これも皮を剥いで花蕾と一緒に茹であげると甘くて歯ごたえがあり美味しい。分かったときは悔しかった。アスパラガスの缶詰を開けてまず一口汁を飲みそれからアスパラガスを食べると聞いたときもショックだった。半信半疑で飲んでみたその汁の美味しかったこと!それからはしばらく汁が飲みたくて缶詰を開けていた時期があったくらいだ。
 まだまだ捨ててしまっているものの中に美味しいものがたくさんあるのかもしれない。まずはゴミとして捨てる前にちょっと考えてみることにしよう。家計の助けになるかもしれないし…。
 皮をむかれた大根は豚バラと煮て食卓にドーンと登場。なにせ大根一本分ですから、ね。

2004年11月25日木曜日

木版画~その2~

 10月のはじめから取り組んでいる木版画。はやいもので2ヶ月が経とうとしている。

 下絵を制作し、原画を版木に写し、後はひたすら彫りすすめるだけの単調な作業だが、完成に近づいていく喜びをどの子も味わっているに違いない。はじめは危なっかしい手つきで彫刻刀を扱っていた子も、いまでは安心して見ていることが出来るようになった(まだまだ油断は禁物ではあるが)。ときどき勢いあまって大事な目や鼻を削ってしまう子もいるが、今のところ決定的な失敗もなくみんな順調に仕上がってきている。
 先週から試し刷りをする子がでてきた。刷り上った版画を壁に貼っていくと、それがまた刺激になるのか一段と彫る手も進む。版画は完成後、来年のカレンダーに刷りそれで最終仕上がりとなる。

 今日、カレンダーの完成第一号がでた。まだまだ完成まで先の長い子もいるけれど、あせらず自分のペースでやって欲しい。どんなに遅くとも年内には絶対できるからね。
 みんなの作品をひとつ残らずアトリエの壁一面に貼れる日は、もうすぐそこだ。

2004年11月21日日曜日

親バカ礼賛

 平日の午前中は私の時間。工房での仕事は時々ラジオを聴きながらしている。

 ある日の番組のゲストで、作曲家の服部克久氏が父親の良一氏のことを語っていた。良一氏はたいへんな子煩悩で息子の克久氏を紹介するときは必ず、「いいヤツでねー」と本人を前に言っていたそうな。ご本人は照れくさく恥ずかしかったらしいが、同時に、こんなにも信頼してくれている人を絶対に裏切ることはできないと強く思ったそうだ。

 人前で自分の子を褒めるということはできそうでなかなか出来るものではない。子どもの出来不出来にかかわらず、だ。そして他人様にわが子を褒められても身の処し方に窮してしまうものだ。
 アトリエでもお迎えの親御さんに「今日はこんなにがんばったんですよ」と子どもを褒めても、「そんな…」とか「でも…」とか言って素直に受け取ってもらえないことがある。たぶん日本人特有のテレなのだろうと思うのだが、もっと素直に反応してくれたらと歯がゆく思う。子どもががんばっていた事は事実なのだから。親が言っている言葉を子どもはしっかり聞いているものだ。そんな謙遜をするよりも子どもに「先生に褒められちゃった、うれしいね!」と言ってもらいたい。そう言われたら子どもはどんなに嬉しいだろう。
 他人の話に耳を貸さず我が子しか見えないただの親バカは困りものだが、親はもっともっとわが子を人前で褒めたり認めてあげたりしていいと思う。いい意味での親バカは傍目にも微笑ましいものなのだから。

 他人のことばかり言えない。私も褒め下手で褒められ下手。でも、もし、もしもわが子を褒めていただくようなことがあったなら今度こそ素直に喜ぼう。そしてこれからはわが子を他人様に紹介するときには必ず…なんという褒め言葉をつけよう?「いい子でして」「孝行息子でねー」「まったく心配かけたことないんですよ!」…、あれっ、本当にそうだっけ??

2004年11月14日日曜日

変わらないということ

 私には時々無性に食べたくなるものがある。そのうちのひとつが…坦々麺!何軒かのお気に入りの店のうち、今日は某O駅前まで自転車で遠征した。


 ここの特徴はさっぱりスープの上にピリ辛のたれと具がかかっていること。スープ全体がまったりと辛いわけではないので比較的に食べやすいと思う。麺も中華麺っぽくなくておいしい。
 何ヶ月ぶりだろうか。いつもの中辛を食べた。いつもどおりおいしかった(連れは今日は薄かったとのたまったが)。

 たまに来る店で重要なのは店の雰囲気も含め、メニューも味も変わっていないことだと思う。それだから行きたいと思うし、ホッとして来てよかったとしみじみ感じるのだ。
 アトリエに久々に顔を出してくれた子が、「先生もアトリエもぜんぜん前と変わってない!」と言ってくれることは私にとって最大の褒め言葉。髪型こそ最近変えてしまったけど、ジーンズのつなぎやサボはずっと変えていない。そういう表面的なことも含めて昔と同じ空気を感じてくれたなら、とても嬉しいし、長くやってきた甲斐もあるというものだ。
 と、坦々麺を食べながら大袈裟に考えた。そして帰りはカロリーを気にして、わざわざ遠回りしてきたのだった。

2004年11月7日日曜日

名前の付け方

 「飼っていたネズミが死んじゃった」と友人。名前が悪かったのかしらというのでどんな名前をつけていたのか聞いたところ“ペスト”とのこと。凄い名前をつけるものだ。悪すぎる。
 そこで名前をつけるのは難しいという話になった。命名には名付け親の人格とか教養とかユーモアの有無とかが出てしまう。タマ・トラ・ポチ・シロ・クロの類は能がなさすぎる。黒だからブラッキー、ラブラドールだからラブでは安直すぎる。一頭目は現金で買ったからキャッシュ、二頭目は月賦で買ったからローンと命名なさったお人もおありだとか。独創的だが…。

 “カキ”という名の犬がいた。どんな意味か聞きそびれていたが子どもが生まれてイクラ、アワビ、ワサビときたから“カキ”は“牡蠣”で寿司種一家ということがわかった。サザエさん一家の向こうを張った命名だ。以前公園で散歩中、「ミケランジェロ!」と特に「ミ」のところにアクセントつけて大声で犬を呼んでいた飼い主がいた。思わずふり返ったら目が合ってしまい「めったにフルネームでは呼ばないんですけれど」と照れくさそうに言っていた。
 そう言えばやはり公園でお目にかかったかの有名な棋士の犬の名はルーク(飛車)。棋士らしい命名に感心したがなぜキングではないのかな?と「へぼ将棋 王より飛車をかばいけり」の川柳を思い出しちょっと可笑しかった。


 ところで我が家のダックスフントの名は母親がポポ、娘がキキ。
 ふたりあわせてポッキーよ♪きみとぼくとでポッキーよ♪なんて歌ったりしていたが、教養のかけらもない命名にいまさらながらもっと気合をいれて付けてあげればよかったと思う。アフロディーテ、クレオパトラ、アマゾネス、ジャンヌダルク…。まあ、あまりに高貴な名前はうちには似つかわしくないか。

2004年10月30日土曜日

ボケの話

 我が家には83歳になる義母がいる。お仲間にめぐまれ、よく小旅行したり、お食事をしたりとたのしそうに日々を過ごしている。先日も10人ほどのお食事会があり、一番若い方が80歳、最高は92歳とか。聞いているだけで驚いてしまう数字が平気で飛び出してくる。だが、合計837歳の集まりにはやはりそれなりの苦労があるようだ。
 当日、参加の予定のひとりがなかなか来ないので電話をかけたところ、「エーッ、私、聞いていません!」と。今回は母ともう一人の方のふたりで連絡しておいたので相手のミスだということが明らかだったが、これが自分だけで連絡していたら、どちらのボケのせいになるのだろうと義母は案じていた。

 私と同い年の友人の話。ご主人とふたりの昼食時に、昨晩の残り物のがんもどきがちょうど二つ残っていたのでそれも食卓に出した。食べようと箸をのばしたところ二つとも無くなっている。ご主人に食べたかと聞くと「食べた」と。二つとも食べたのかと再度聞くと、一つだけとの返事。ということは、もう一つは自分のおなか?。食べた実感なくして食べたことにショックを受けた様子だった。
 「でもね、もしかして夫のほうがボケているのかも…自分で二つ食べたことを忘れてしまっていたりしてね」と友人が言ったので大笑いになった。
 もう一つ、私より若い友人の話。夢中で仕事をしていて気がついたら日もだいぶ傾いていた。自分は昼ごはんを食べたのだろうか、はたと心配になり流しに茶碗や箸の確認にいったところ使用済みのそれらがあったとのこと。

 私のまわりではこうした話が寄ると触るとごろごろでてくる。そして話している本人はいたって明るく楽しげなのだ。どこか小さな子がこんなこと出来た、あんなこと出来たとうれしそうに報告するのに似ている。話すほうも聞くほうも少しも深刻な感じがない。私たちの年齢ではまだまだボケも新鮮な体験でしかないのかもしれない。義母たちにとってはそうもいかないのだろうが…。

 忘れることはいいことだ、どんどん幸せになれる、と言った人がいた。体が衰えていくことが自然の摂理ならば頭がボケてくるのも同じこと。自然に逆らわずに生きていこうとおっしゃるのだ。
 ボケの神様と仲良くということなのだろうけれど、まだまだやりたいことが山ほどある身にとってはそうもいっていられない。そのうちがんもどき一個どころではなく食べた食事のことを忘れて何度も食べだしたらどうしようと半ば本気で心配している。せめてその時期がすこしでも遅くなるようにと身体を努めて動かしたり、頭を使ったりしているがはなはだ心もとない。

 ボケの神様から逃れようととことんあがきもがくのか、いっそ仲良くお付き合いさせていただくのか今はどちらとも決めかねている。

2004年10月24日日曜日

ネコの話

 近所に“ニャー”というなんとも適当につけられた(としか思えない)名前の猫がいる。
 ニャーは、車の下とか玄関先、路地の奥など一日のほとんどを外で過ごしている。
好奇心の強い猫らしく、アトリエの入口にきてはよく中をのぞいてくる。ふと入口に気配をかんじて目をやるとニャーだったりするのだ。警戒心は薄いらしく、アトリエを開けておくと私がいるにもかかわらず入ってきて、部屋をゆっくり一回りして出て行く。もしかして"イッパイアッテナ"(作:斉藤洋『ルドルフとイッパイアッテナ』の登場猫)みたいに教養のある、絵の好きな猫なのかもしれない。時々ねこじゃらしでニャーをかまってみるのだが、今どきの猫はこんなものでは喜ばない。さめた目で私を見つめるばかりである。


 ニャーはとってもおしゃべりな猫でもある。仲良しの“ミミ”とよく一緒にいるのだが、遠くからミミをみつけると「ニャハハハハ、ニャハハハハ、ニャ~ン」と声をあげながらすっ飛んでいく。きっと「ミミちゃん、どこにいってたのよー、さがしちゃったじゃなーい、あそぼ!」なんて言っているのかもしれない。

 ある日アトリエの前を、いつになくすばやくニャーが横切っていった。一瞬のことだったので私は見過ごしてしまったのだが、生徒のひとりが「あの猫なにかくわえていったよ!」と声をあげた。なんだったんだろう????数分後、ニャーと入れちがいに入ってきた生徒が興奮してこう言った。「いまネズミをくわえたネコに出くわしたー」いつもは地べたに寝転んでばかりだったり、ねこじゃらしに無関心だったり、警戒心が薄かったり、ミミと遊ぶことぐらいしかやる事がないのかと思っていたのに…やったねニャー! ネコがネズミをとるのはやっぱり本能。 都会のネコだって、今どきのネコだってやっぱりネコはネコ!
 ネコの野生は健在なのだ。 後日ニャーを見る眼が少し変わった。草むらを歩いている姿なんぞサバンナのライオンにみえなくもない、かも…。

2004年10月15日金曜日

木版画

 今日はすばらしい秋晴れの一日でしたね。東京は10日ぶりの太陽とのこと。長雨でなんとなくジメジメしていた家の中も風がとおりさっぱりしました。太陽は偉大です。
 さて、アトリエではいよいよ木版画の課題が始まりました。これは3年に一度の課題でテーマは「家族」。まずは家族の写真をそれぞれ持ってきてもらいそれを下絵におこす、写真を見ながらの写生といったところです。いま大方の子どもたちが下絵と格闘しています。

なぜなら、「家族」の写真といっても家族全員で撮っている写真はよほどの記念写真以外なかなかないものです。そこで、ばらばらでもいいから家族が映っているものを数枚もってきてもらい画面を構成するのですがそれが一苦労なのです。でもそうすることで記念写真からでは得られない独自の「家族」の肖像画ができるのです。こうしてできた下絵は今回も十分に期待できるものばかり。仕上がりがたのしみです。
 はやい子は今日から彫刻刀を使っています。幼稚園児も使い方をきちんと教えれば使えます。全神経を刃先に集中させ、それはそれはきれいな手つきで彫刻刀を使いこなしていきます。この課題ができあがる2ヶ月後にはどの子も確実にすばらしく成長していることでしょう。

 今回も怪我のないようにと祈りながら、私の緊張の日々がはじまります。

2004年10月12日火曜日

季節外れ

 石榴(ざくろ)に蕾(つぼみ)がついていることは一週間ほど前から気がついていた。その蕾が今朝ひらいた。
 この木を植えたのは何年前のことか。30㎝ほどの細い石榴の木は実はおろか花の咲くことさえ期待させることもなくいつまでも細々としていた。それがいつの間にか幹も太くなり枝数もふえていたのだった。


 今まで一度も蕾をつけたことがないのに、なぜ季節はずれのこんな時期に蕾をつけたのだろう。折しも台風22号の到来でその運命ははかないものにみえた。だが、背丈ほどのヒバの木が一本根元から倒れたというのにその蕾は吹き飛ばされもせず、それから3日後に開花したのだった。

 石榴の花は学生時代を思い出させる。5・6月頃の暑くなりはじめるころ構内にはいるとまっさきに目に飛び込んでくるのがこの石榴の花だった。鮮やかなオレンジと緑の色は強烈で、これから来る暑い夏を予感させ、一気に身も心も活性化してくれた。私にとって石榴の花は夏そのものだったのだ。

 その石榴の花が、そろそろセーターが欲しくなるようなこの時期に咲くとは。あの暑い最中にこそ似合う花が、本来梅雨時に咲くべき花が、ここのところの長雨で梅雨と錯覚してしまったか。鮮やかな色彩だけになんとも哀れを誘う。

 これから寒くなるというのにこの花はどうなるのだろう。せめてしっかりと見届けてあげようと思う。

2004年10月6日水曜日

秋の夜長

 ここ三日ばかり続いた雨があがり、再び虫の音が賑やかに聞こえ気分をすっかり秋モードにしてくれる。しかし、“チッチッチッチ”とか“リーンリーン”と様々な音色がそれぞれ何の虫だか判然としないことが歯がゆく感じられていた。
 そこでふと思い立ってネットで調べてみた。図鑑では擬音の表記しかないが、ネットだと音声まで聞けてしまう。なんて便利!そこで、よく聞く音の主がコオロギはコオロギでも「ツヅラサセコオロギ」であること、規則的な音は「カネタタキ」であることがわかった。これで一件落着。


 その後ゆっくりとリビングでくつろいでいたら、他の虫の音と違って、妙に近いところで虫の音がする。それは先ほど調べたカネタタキの音であることはすぐにわかった。しかしそれにしても近いところで聞こえるなぁ、部屋の中にでもいるのかしら?と思っていると……、でてきたのでした!カネタタキ君が(右の写真)!どおりで近くで聞こえたわけだ、と納得。

 虫はあまり得意ではないけれど、今日は何か愛おしさすら感じてしまったのでした。

2004年10月2日土曜日

守宮―ヤモリ―の棲む家

 今朝、玄関前の踏み石の上でヤモリがぺちゃんこになっていた。家人の誰かに踏み潰されたのだろう。いつもは素早い動きが身上なのに二、三日前から急に涼しくなってきたので動きが鈍ってしまったのかもしれない。かわいそうに思い埋めてあげた。埋めながら、それにしてもまだ我が家にヤモリがいたかとうれしくなった。

 我が家は古い木造家屋。いろいろ手を入れてはいるがかれこれ60年は経っているはずである。一昨年、結構大がかりに手をいれたとき大工さんが、まだまだ大丈夫ですよと柱を見ながら太鼓判を押してくれた家だ。そんな古い家なのでヤモリも代々住みついていた。夏が近づくとかならずヤモリが現れ、それで季節を感じてもいた。窓ガラス越しにその肌色のお腹がピクピク動いているのを眺めていると、急にススッと動きあっという間にガを仕留めたりする。そして何事も無かったかのように再び定位置にもどってひたすら次の獲物がくるのを待っている。ガラス越しに人差し指を押し付けると、熱を感知するのかやおら場所をかえてまたじっと獲物を待っている。そんなヤモリを飽かず眺めていたりした。

 ベランダに使わなくなった葭簀(よしず―“よし”を編んでつくった日除け。海の家とかにある…)が立てかけてあるが、そこがヤモリの棲家ということはうすうす知っていた。以前は夏になると葭簀を使っていたので、葭簀を持ち上げるたびにパラパラとヤモリが何匹も飛び出してきたものだった。なかには生まれて間もない小さいのがいて、こちらがちょっかいをだすと一人前に口を大きくあけて威嚇してきたりしておもしろかった。

 ここのところヤモリを見かけないことに気づいていた。この夏も見かけなかったので、一昨年の家の修理のせいかもしれないと思い始めていた矢先の今朝の出来事。やはりベランダの葭簀が棲家なのだろう。一匹いたということは他にもいるに違いない。やれやれである。ヤモリがいるということはまだまだこのあたりの自然も捨てたものではない、と一安心。

 ヤモリは私にとっての自然を測るバロメーター。 いつまでも我が家にいて欲しいとぺちゃんこのヤモリを埋めながら思った。

2004年9月23日木曜日

中秋の名月?

 23日は秋分の日。所用のついでに横浜中華街でランチをしました。
 祭日のため街は人、ひと、ヒト、の大混雑!雑踏の中へ踏み込み、いつものお店でいつもの料理をいただき、さてお土産でも買ってかえろうとふたたび雑踏の中へ。そしてこれまたいつものお土産屋さんへ向かったのでした。
 店に入ると「期間限定、中秋の月」という大いに目立つ貼り紙。見ると「中秋の月」という名の月餅がたくさん盛られています。黒餡に塩玉子入りとある。塩玉子?しかも2個入り?添えられている写真をみると半分に切られた月餅のまん中に玉子の黄身が見える。ナルホド…。玉子入りということは分かったが、お味のほうは食べてみるしかない!と、即購入しました。
 よく見てみると中華街のあちこちの店に「中秋の月」「期間限定」の看板が写真入りで出ていた。だが、塩玉子“2個入り”と書いてあるお店はなかった。なんだかとっても得した気分。

 さて家に帰りお茶をいれて、さっそくケーキカットならぬ月餅カット。手にずっしりとした手応えを感じながら切ってみると…そこには、漆黒の夜空に満月がぽっかり浮かんでいるではないか、しかも2個も!中国4000年の歴史が生み出した遊び心にただただ感服するばかりでした。
 お味は?玉子の黄身はうっすらと塩味、黒餡はしっとりなめらかな胡麻風味。玉子のかおりと胡麻のかおりもよくおいしくいただきました。
 なによりも半分に切ったときの感動がすばらしかった…。おかげでもうお月見をした気分になってしまいました。

 でも、やっぱり玉子はひとつでいいかも。だって月はひとつなのですから…。

2004年9月20日月曜日

はるかちゃんの話

 土曜クラスのはるかちゃん(高3)のはなしてくれたこと。

 学校の文化祭ではるかちゃんのクラスの出し物が彼女の企画したカレー屋に決まったそうです。 そのカレー屋というのがユニークなのでここで紹介したいと思います。
 その内容というのが…。 フェアトレードによるネパールのカレー粉を使ったカレー屋さん! フェアトレードというのはあまりなじみがない言葉なので少し説明が必要かもしれません。 (かくいう私も具体的な内容はあまり知りませんでした。)



[お茶の時間]

フェアートレードとは、適正な価格で商品取引をすることによって発展途上国の生活向上をめざす運動のことだそうです。 そういうルートで得られた食材を使えば、それは間接的に発展途上国の人たちに経済援助をしたことになる、とのこと。
 ついで(?)に無農薬野菜をつかって、健康にも配慮したカレー屋さんにしようということになったのだそうです。

「私たちがネパールのカレー粉を使えばネパールの人たちの収入になる。 そして来てくれた人がカレーを食べてくれればネパールの人たちの経済的支援をしたことになる。 (その上、食べた人の健康にもいい!?)だから食べにきてー」(byはるかちゃん)

 最近の文化祭で模擬店をやるところは多いと思います。 しかし、そこにひとひねり加えて、世界的な視座を加えるなんてなんて素敵なんでしょう! ちょっと違った、メッセージ性のある企画で面白いと思いました。
 私も応援しています。がんばってね!

2004年夏

ホームページを開設して

 この夏はアトリエCOMのホームページを作る作業に明け暮れていました。

 アトリエの30年近くを整理しまとめていく事は大変たのしい作業でした。古い写真がでてきておもいがけず懐かしい幼な顔に出合ったり、その時々の子ども達の言葉がよみがえってきたり、はたまたそのころの自分の言動が思い出されたり。そんなことを繰返しているうちに、いつの間にかホームページを作る作業は自分自身を問いなおし、曝け出す作業になっていました。思いもかけない展開に戸惑いながら、私ってなに?私の大切にしてきたものってなに?信条は?趣味は?好きなたべものは?私はこの30年間いったい何をやってきたの?……もうイヤになるほど自身に問いかけました。その結果がこのホームページになったわけです。ですからこれは私の分身かもしれません。
 今回いい時期に総括(なつかしいことばですねー)できてよかったとおもっています。こんな事でもしなければ相も変わらずズルズルと、ヌクヌクと生きていったでしょうから… 。
 ホームページに自分自身をも公開してしまった訳ですから、これからの人生少しはしゃきっと生きていけるかなとおもっています。

 時間がかかって苦労も多かったけれどホームページを公開してよかったと思うことは、見てくださったみなさんの反響がいただけることです。
 そしてなによりもうれしかったのはアトリエの子供たちが予想以上に喜んでくれたことです。自分達の作品がホームページに載ったことを素直に喜んでくれました。子供たちに発表の場を作ってあげられてよかったーと心底思います。

  ホームページの公開は誰でも出来るけれど、更新し続けることができるかどうか…といわれました。 気張らずに、息長く続けられたらと願っております。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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