日々是陽陽 2006年

2006年5月28日日曜日

恒例の箱作りに思うこと

いつものことながら、子どもたちの創造力には驚かされる。
 今取り組んでいる課題は「箱つくり」。寸法線のかかれている板を切って組み立て、12cm×12cm×9cmの箱をつくること。この課題の狙いは道具の 正しい使い方にある。ノコギリ、カナヅチ、クギヌキ、ヤスリが適切に使えるようになること。その上で、正しく線が切れ、正しく組み立てられればそれで課題 としてはもう十分。これだけでも相当に大変なのだ。そうやって組み立てられた箱をペンキで加飾し出来上がりとなるのだが、子ども達はいとも簡単にこちらの 目標を飛び越えてしまう。四角い箱にペンキで色を付けたり模様を描いたりしただけではものたりないと感じてしまうらしい。より高度(?)な作品を狙うため 四角い箱自体に手を加えるのだ。縁周りにヤスリで波状形を作ったり、縁周りを切ったり、切った木っ端を縁周りに張ったりする。四角く出来上がっている箱を 加工するには廻し挽き鋸を使うのだがそれがまたまた大変。扱い方が難しくなかなか切り進んでくれない。それなのに挑戦する子が毎回いるのだ。去年やってい る子を見ていた子が今年こそと意を決して挑戦したりする。そういう子には一応廻し挽き鋸の大変さを説明するのだが、それでもやってみるという。見るのとや るのとでは大違いなのだが、取り掛かってしまえば後は仕上がるまでやるしかない。途中で弱音も出るがどの子も額に汗してがんばるのは、自分で決めたことだ からと分かっているからなのだ。だから出来上がった時の喜びは何物にも代えがたく、出来上がった「箱」は宝物になるのだろう。

 今回も何人かが高度な箱に挑戦している。縁周りを切るのも大変な作業なのだが、「はめ込み模様」に挑戦する子が現れた。はめ込み模様は切り取られた模様 も切り取られた跡もきれいでなければならないため、線の通り切らなければならず一時も気が抜けない作業が続く。箱に組み立てる前の板の段階でそれらをやる のであったなら、廻し挽き鋸ではなく糸鋸が使えるのでずっとやり易くきれいにできるのだが、子どもにそこまでの計画性はない。出来上がった箱を見てから次 を決めるから悪戦苦闘が続くことになる。
 今回、創造力という点でもっとも驚かされたのは「透かし模様」をやってみたいと言ってきた子がいたこと。以前にも名前の頭文字を抜いた模様を作った子が いたが、今回は連続の模様をやりたいと言ってきた。去年のSちゃんのビル街のシルエットを切り取ったデザインにも驚かされたものだが、「箱」という課題に は子どもの創造力を刺激するいろいろな可能性がまだまだあり、それを引き出す子どもの柔軟な発想にまたまた感心させられた。

 さて、透かし模様の部分に廻し挽き鋸の先がはいるようにドリルで穴をあけ模様をくり抜き始めたが、これから先どのくらいの日数がかかるのだろう。そろそ ろ出来上がる子も現れ始めているというのに一人黙々と廻し挽き鋸を挽いている彼女の頭の中には、出来上がりの図がはっきりと描かれているらしく、時折仕上 げの色の話などもでてくる。どんなに時間がかかってもいいからあなたの納得のいく箱を作ろうね、Yちゃん!

2006年3月11日土曜日

アトリエを卒業するということ

 三月に入ると、世の中は卒業シーズン。わがアトリエとて例外ではなく、“卒業”を考えさせられるシーズンである。
 アトリエにもこの春小学校を卒業する子どもが何人かいる。そのうちの一人であるRちゃんは、小学校を卒業するのと同じくしてアトリエも“卒業”することになった。
 アトリエの卒業ってなに?、と思われる方もあるだろう。もっとも卒業証書を伴うものではなく私ひとりの考えでしかないのだが、アトリエの卒業とは、「十分アトリエを楽しみ、かつ思いを残さないでアトリエを去ること」である。

 冬休み明けの新学期そうそうから「今月でアトリエを辞めさせていただきます」という話が出てくる。学習塾の新学期は2月なので、3年生は新4年生、4年 生は新5年生へと通常よりほぼ一学期分早く進級させられてしまう。新たに学習塾に通うため、あるいは学年があがり通う日数が増えるため、アトリエに通いき れなくなるのだ。止む無く、あるいはこれをきっかけにアトリエを辞める子が、結構な人数いる。もちろん今まで通ってくださったことに感謝してさようならを 言うのだが、そのような理由で辞めてしまうのはもったいないと思われる子も、正直多い。そんな子の“卒業”の申し出は、本当に残念で仕方がない。
 世の流れに乗って「四年生になるので塾へ行かせます」とあたかも当然のように言われると、「ちょっと待って」と言いたくなる。いまさら塾の功罪を述べる つもりはないが、塾へ行く前にもっとやらなければならないことがあるのではと思われる子や、塾へ行くには時期尚早と思われる子を見るにつけ、「もっと自分 の子を見て!」と叫びたくなるのだ。そうやってアトリエを辞めていった子は、卒業したとはとても言えない。ほとんどの子がアトリエに思いを残しながら、な かば強制的に塾の生活に切り替えさせられているのだから。それも学期半ばで…。

 Rちゃんは三年生の時からアトリエに来てくれている。真面目で、納得するまでとことん作品と取り組む姿勢は、はじめて会ったときから全く変わらない。 けっして器用ではないけれど、真剣に課題と取り組むうちに何時しか良い作品が出来上がっているという不思議な子、しっかり大地に根を張った力強さを感じさ せてくれる子だ。作品はどれをとっても思いがぎっしりと詰まっているものばかり。Rちゃんの思いだけでなく私の思いもぎっしりと。

 Rちゃんは十分アトリエを楽しんでくれたと思う。そして思いを残すことなく次なるステップに飛び立とうとしている。だから、私は笑顔でRちゃんに「卒業おめでとう!」と言って、送り出してあげたいと思う。

2006年2月25日土曜日

初心

今、アトリエの子どもたちは干支の“張子”に奮闘中。今日も幼稚園生のKくんが小さい手を一生懸命に操って、原型に紙をペタペタ張っている。そのあまりの健気さに、ふと思ったことを聞いてみた。

 Kくんは何でアトリエに来てるの?」

 お受験等で昨今は何かと忙しい年齢。お受験対策の塾とは違い目先の成果とは程遠いこのアトリエへ、休まず通って来てくれることに対するちょとした疑問だったが、Kくんの回答を聞いてそんな質問を発した自分を大いに恥じた。

 「好きだからに決まってるでしょ!」

 作業する手を休めず少しぶっきらぼうに放たれたこのフレーズに、改めて自らの初心を思い起こされた。

 友人などの会話の中で、私が絵画教室を開いていることが話題に上ると、「何を教えているの?」「どうやって教えているの?」と尋ねられる。そんな質問を 投げかけてくる人はたいていデッサンの仕方や油絵のテクニックなどの回答を期待しているのだろうが、私はいつもこう答えている。

 「絵を描くことをが嫌いにならないようにすること。」

 正面からの回答になっていないかもしれないが、私が日々子どもたちと接しながら気をつけているのはこの一点に尽きるのだ。
 子どもは本来的に手を動かすこと、ものを作ることが好きだ。しかし、思い切りものを作ることは日常的になかなか出来ない。そこで微力ながらその楽しさを 伝えたい、のびのびと創作できる喜びの場を提供したい、そう考えたのがアトリエを開くきっかけだった。
 はじめてみて一番難しかったのが、楽しいことを如何に楽しさをもって伝えられるか、ということだった。ともすれば大人の論理で押し付けがましくなってし まうこともあり、何度説明しても理解してくれずに大きな声を出してしまったこともある。そういうときは自分の至らなさを恥じ、楽しいことを伝える資格が自 分にあるのかと何度も自問した。そのたびに心に誓ったのが先のポリシーだった。最近は歳を重ねて、自分をコントロールできるように少しはなったかもしれな いがまだまだ。
 大人はとかく目先の結果を求めてしまうもの。それは重々承知しているし、自分だってわが子に求めすぎたかもしれない。子どもとてこの社会で生きていくこ とは大変で、ストレスもたくさんあるだろう。そんな子たちもアトリエにいるときだけはせめて楽しく、のびのびと手を心を動かしてほしい。そこにこそ、この アトリエの、わたしの、存在意義があると思っているのだから(少し大げさかな?)。

 黙々と淡々と作業を進めるKくんを見ながら、心の中で「どうかそのまま、好きなままでいてね」と呟くのだった。

2006年2月5日日曜日

長い待ち時間

 去年の夏頃急に耳の調子が悪くなった。それ以来、定期的に少し離れたところの耳鼻咽喉科のお世話になっている。
 年があけて、通院生活もかれこれ半年になってしまった。その耳鼻咽喉科、診察日が極端に少なく、月・火・金・土の四日間だけ。しかも月・火・金は午後の み、土曜は午前のみという大名商売。そのせいか診察日はいつも混雑しており、待ち時間一時間などはザラ、二時間ほどかかることもしばしばある。
 そこの女医先生、見立ては確かなのだが話好き。興がのると話が終わらない。あと少しで自分の順番がくるというのに、前のおばあさんとの尽きない話を待っ ていなければならなかったりする。ともあれこの先生、たいしたパワーの持ち主だ。70歳はとうに越しているとお見受けするのに、疲れも見せずきれいな声で 流れるように話すのだ。患者の多くがご高齢者というのも肯ける。じっくり聞いてくれるから話易いのだろう。しかし私には話すこともないから、自分の順番が くれば五分もかからずに終ってしまう。確かに診察の効果はあるのだが、こんな調子だからついつい通うのが億劫になってしまう。アトリエのない月曜の午後か 土曜の午後のまとまった時間の取れる日しか通えないので、畢竟いつまでたっても完治しない。

 意を決して診察へ行くときは、読み応えのある本を携えることとしている。滅多にないまとまった時間と考えれば、有効に活用しない手はない。我ながら長い待ち時間をポジティブに捉えた上手い作戦、のはずだった。
 このところ、小学三年生のS君と待合室でよく一緒になる。別に知り合いではないのだが、たびたび一緒になれば共に長い待ち時間に耐える同志(?)にも思 えてくるものだ。このS君、実は別の観点からとても印象深い子なのだ。小さい子が一人で診察に来ること自体珍しいことなのだが、彼は待ち時間に宿題のドリ ルをやっているのだ。こっそり観察していると、国語のときもあれば算数のときもある。待合室のベンチに腹ばいになり、ドリルを広げて、問題を片っ端から片 付けていく。まわりでおばさん達が大きな声で世間話に花を咲かせていようが、お構いなしに自分の世界に没頭している。私は持参した本を読むのも忘れてS君 に見入ってしまい、いつも「お見それしました」と心の中で呟いてしまうのだ。
 S君は治療が済むと、それこそ鼻の通りもスッキリ、頭もスッキリ、加えて宿題もスッキリと家に帰るのだろう。どうせ待たされるのなら、こんな実のある待たされ方がいい。さて、私ならさしずめ何が出来るのだろうか…。

 そうして今日も待ち時間はS君の観察に終始してしまった。通院生活はまだしばらく続きそうだが、持参の本は一向に読み終わる気配がしない。

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