日々是陽陽 2008年

2008年9月15日月曜日

通勤

いよいよ作品展まで二ヶ月をきった。一分でも時間が欲しいところだが、ここのところ仕事場に行くのに30分くらいかけている。別に仕事場を移したわけではない。仕事場はあいかわらず自宅にあり所要時間は0分なのだが、この5月から直接仕事場に行かずに、まず駒沢公園を一周してから仕事場に入ることにした。だから仕事場は通勤時間30分のところにあるのと同じことになった。なにせ仕事場に入ると、ほとんど座りっきりで仕事を続けてしまうので、運動不足解消のためである。

いざ始めてみるとこの通勤、なかなか良い。適当な運動が体を活性化してくれ、気分爽快で仕事にかかれる。また、季節の移ろいを五感で感じるため、感性が磨かれている気分にもなってくる。こんな快適な通勤に、何で今まで気が付かなかったのだろうとしきりに思う反面、まだ体の動くうちに気が付いてよかったとも思う。

振り返ってみるに、駒沢公園の近くに住んで40年近くなるが、公園にはいつもお世話になっている。子育ての最中は公園に行くことが日課という生活だったし、子どもの自転車の練習も凧揚げも雪合戦もみんな公園でやった。公園のヤマモモの実できれいな色のジュースを作ったり、銀杏をたくさん拾ったりと、食の面でもお世話になった。
この年になってまたもや公園のお世話になろうとは思わなかったが、公園はどの世代にとってもいいものだ。そのうち、介護の方と一緒に歩いたり、車椅子で来たりとかするのだろうか。己のこれからの姿を想像しながら歩くのも悪くない。

歩き始めて4ヶ月。欅も、若葉から濃い緑にかわり、そろそろ色付く準備を始めている。
軽い気持ちで始めた通勤ではあるが、今では私の大切な時間となっている。

2008年6月3日火曜日

お役所仕事

 隣に空き地がある。売りに出されてすぐに買い手がついたのだが、なにせその土地は細い路地の奥まった場所なので、今の建築基準法では家は建てられないとわかった。新しい地主は、そんな土地に用は無いとばかりすぐに手放し、めぐりめぐって今は国有財産管理下にある。

 空き地は定期的に草刈りがおこなわれ、さすがお役所仕事!決められたことはきちんとするのね~と感心してみていたが、刈るのは草だけ。草刈りのあとにはいつも細い木が数本残されていた。その細い木も何年か経つうちに結構りっぱな木になってきて、我が家の東側のそれは午前中の日差しを遮るほどにまでなった。このまま大きくなったらどうしよう、今のうちに何とかしてもらわねばと少々あせる気持ちもあって、今度草刈りの人がきたら伐ってもらえないか頼んでみることに。

 しばらくして隣の空き地から、例の草刈りのモーター音が聞こえてきた。飛び出していって大声で呼びかけたが全然聞こえない。数回繰り返してやっとモーターが止まったところで、家の塀に沿って生えている木を伐って欲しい旨を伝えた。が、その人曰く、草刈りの請負人の自分は、草を刈るだけで木を伐ることはできない、木を伐るためには役所に申し出てくれという。草を刈るのも木を伐るのも同じと思っていた私は、その区別があることに驚いた。お役所仕事なんだ!と妙に感心しつつ、教えられた部署に電話をいれた。3回ほど電話をまわされ、やっと本題に入ることができたが、ここでも、たかが細い木を2~3本伐るだけなのに、やれ現地調査しなければだの伐採許可が必要だのとおおげさなことを言われた。しかも今は3月の年度末なので、4月に引継いでから改めて連絡しますときた。

 きちんと引き継いでくれるのかしらと思いつつも、すっかり忘れていた4月も終わろうというある日、突然役所の名刺を持った方が訪ねてこられた。役所の人は、自己紹介もそこそこに隣の空き地の図面を広げ、あの木はこのようになっておりましてと指で示す。そこには、伐って欲しいと申し出た木がきちんと印をつけられ、残すよう指示されていた。

 調査の結果お申し出の件は受理されました、と報告を受けてから一ヵ月後、例の草刈りのモーター音が聞こえてきた。程なく、申し出た木はもちろん、数本あった木もすっかり伐られていた。姿のよい、鳥たちがよく集まっていた木も、例外ではなかった。

2008年4月16日水曜日

2世くん

 実は、昨年一年間、アトリエに幼稚園児の声が絶えていた。各年代の構成はその時々で変化するし、ひとつの学年が丸々いないことだってそこまでは珍しくない。それに、幼稚園児は手が掛かる。工作のときの神経の使いようは、それこそ小学生以上のこどもに比べて、2倍、3倍…。幼稚園児がいないという事実は、そのままアトリエの先生の立場からすれば神経をすり減らさないで済む分、疲れないことを意味する。
 しかし、幼稚園児特有の賑やかさのないアトリエは、なにか違う。正直寂しいのだ。思えばアトリエのスタートは7名の幼稚園児だったわけで、カリキュラムの大半も幼稚園児を前提に発展したものだ。彼らのまっさらなアイディアに、原初的なもの創りの楽しさを見出してきた。手も掛かるけれど、ひたむきに道具を操る小さな手にこそアトリエの原点があったのだ。

 新学期が始まってしばらくたった頃、新たな入室希望の電話が鳴った。年齢を聞いてみると幼稚園児とのこと。名字に聞き覚えがあるなぁ、と思いつつそのときは受話器を置いた。
そして数日後、ひょっこり顔を出したその子の顔を見て思わず、「やっぱり!!」と声をあげてしまった。名字でピンときた20年以上前の面影を色濃く残すその幼い表情は、かつてのアトリエに通ってくれたTくんのそれ。記念すべきアトリエ2世!嬉しいやら懐かしいやらで、思わず眩暈を覚えたほど。この心を満たす感情は何なんだろう?

 また幼稚園児がアトリエに戻ってきた。それも、アトリエ2世!
二代にわたりこどもの成長に係わることのできる幸せを、今かみしめている。いずれかつてのおとうさんにそっくりな2世くんには、おとうさんのあんなエピソードやこんな秘密を話してあげよう!名前を間違えることだけは注意しないといけないけれど…。

※幼稚園児は現在6名が在籍して新学期をスタートしている。いつかと同じ、アトリエの当たり前の風景。

2008年3月31日月曜日

今日のアトリエ

 「今日のアトリエ」といっても、アトリエはまだ春休み中。子どもたちの声がないアトリエは、ただの箱でしかなく寒々しいばかり。
 私は、その中でもくもくと新学期の準備をしている。一人ひとりの名札の下に書いてある学年を改めるたび、へぇ~もう2年生になるの?5年生?中学生!と驚く。それぞれの小さかった頃が思い出されて、思わず作業の手が止まってしまう。そんな私の耳に子どもたちの声が、春休み中のこと新しい学年のことをわれ先に話してくれる子どもたちの声が、聞こえてくるような錯覚におちいってしまった。早く子どもたちに会いたい。
 
 子どもたちがいてこその、このアトリエ。子どもたちの声に満ちているアトリエが一番好きだ。あと一週間で新学期が始まる。準備するにも熱が入る。

2008年2月27日水曜日

いつかは終わる

 去年の「秋の大作」は、三年に一度の木版画制作だった。
 家族をテーマに木版画を彫り、それを2008年用のカレンダーに摺って仕上げる。本来ならば去年の暮れのうちに出来ていなければならない作品なのだが、最後の一人の版画がやっと本日摺りあがった。今頃“今年のカレンダー”もないところだが、子どもたちの力作に加えて、今回のカレンダーは来年の3月まであることに免じてまずはお許しをいただきたい。
 
 毎回木版画の課題に取り組むと年内に出来上がらない子は数名ほどいるが、今回は半数以上の子が出来上がらず年を越してしまった。なぜこうなってしまったのか、原因はいくつか考えられるが、ひとつは今まで使っていた転写液がカタログから消えてしまったことが挙げられる。この転写液は版木に塗り原画を裏返しして擦れば、反転した原版ができるという優れもの。いちいち原画をトレスして、さらに版木にトレスするという工程を省くことができるので重宝していた。今回制作にあたって転写液を注文しようとしたが、どこのカタログをみてもなく、直接問い合わせたところ製造中止とのこと。しかたなく版画の工程に則ってトレスを繰り返したため時間がかかってしまったのだった。
 もうひとつ考えられる大きな原因は、原画の出来の良さ、質の高さが挙げられる。「この一年で一番印象に残った家族のワンショット」というテーマのもと、どの子も思い入れのたくさんある、手の込んだいい原画を描いてくれた。原画が描けた段階で、今回は時間がかかることを覚悟した。まさにその通りになったということ。

 去年の10月に取りかかった版画は5ヶ月かかってようやく終わった。子どもたちは毎週同じ作業をよく続けたものと思う。
 最後の子の版画をカレンダーに刷り上げたとき、「いつかは終わるんだ」と私はつぶやいていた。やり続けてさえいれば、途中で投げ出しさえしなければ、いつかは終わる…当たり前のことがつくづく身に沁みた。

2008年2月7日木曜日

鉛筆削り

 我が家には、手動であれ電動であれ、いわゆる鉛筆削りというものがない。鉛筆はカッターで削るものと丸山家では決まっている。それはアトリエでも同じ。
 
 アイデアスケッチをしている子どもたちの鉛筆は、すぐ芯がまるまってしまう。そこで、私は傍らでせっせと鉛筆を削るのだが、気付くと私の手元は、子どもたちの目にさらされている。今どきカッターで鉛筆を削るのを目にすることはあまりないのだろう。自分たちの作業そちのけでいつまでも見ている。

 ある日、R君は見ているだけでは物足りなくなったのか、鉛筆を削りたいと申し出てきた。彼の顔をみて一抹の不安がよぎったが、黙って鉛筆とカッターを渡した。案の定、左手に鉛筆、右手にカッターを持ち、さながらささがきゴボウを作るがごとく鉛筆を削るので、動作が大きく危なっかしい。もう見ていられない。左手で鉛筆を持つと同時に親指をカッターの背に置き、親指でカッターを押すこと、右手はカッターを持っているだけで動かさないことを教えると、やっと安心して見られるようになった。真剣な眼差しと集中力は、先だっての課題の木版画と同じ。鉛筆がみるみる短くなっていくのはもったいない気がしないでもないが、この際けちな事は言わないことにしよう。
 散々削った末、「来週も削るから取っておいて」と手渡されたそれは、ゴツゴツ削られ芯は必要以上に長くでているものだったが、初めての彼の作品として大切に預かった。

 「…鉛筆を削っている先生の姿が、アトリエの先生って感じがしてかっこよかった…自分の筆箱は高校生としてはめずらしいですが全部鉛筆です。」とアトリエCOM30周年記念誌に書いてくれた卒業生がいた。意識してやっていることではない、何気ない私の作業を見ていてくれたことは、驚きだったと同時にとてもうれしかった。
 R君の筆箱もそのうち自分の削った鉛筆で一杯になってくれるだろうか。

2008年1月16日水曜日

決めた!!

 いつものことだが、なんの前触れもなく私の心は決まる、らしい。自分自身どういう過程で心が決まるのか興味があり、注意深く己の心をうかがっているのだが、今回もまた、突然心が決まってしまった。

 前回の個展から一年ほど経った秋頃から周囲より「個展はいつ?」と声をかけられるようになった。私の個展を楽しみにしてくださるとはうれしい限りなのだが、正直個展をやる気力は湧いてこなかった。
昨年の8月に、「アトリエCOM30周年記念展」を終えたその身は、記念展で身も心も使い果たし、“もぬけの殻”状態が続いていた。実際、記念展に費やしたエネルギーは想像以上だった。もっとも、記念展は費やしたエネルギー以上の喜びをもたらしてくれたのだが。だから、いつになったら個展をやる気がでてくるか、どんなきっかけでやる気がでてくるか、自分自身もまったく想像できなかった。

年が明けてみても、個展開催の声は一段と多くなったが、まだまだそんな気分にはなれなかった…はずなのに、気付いたら、画廊に予約の電話を入れていた。
出来ない理由をあげつらっている自分に嫌気が差したか、はたまた言い訳している自分に愛想が尽きたか。どちらにしてもこんなエネルギーが決心の源になるとは、驚きではあるが…また思い切った決心をしてしまったようだ。

どんな理由であれ、個展に向けて動き出した。もう、やるっきゃない!!!

ということで、今年の11月10日(月)~11月16日(日)の一週間、青山のイチーズギャラリーにて、個展を致します。

みなさま、ご支援のほどよろしくお願い致します。

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